稽古を通じて

子供達が稽古に励んでいることは素晴らしいことです。稽古をする中で礼儀正しさを身に付け、稽古の楽しさを知っていくと思います。合気道の稽古が当たり前になり、長い人生の目的や喜び、豊かさ等になれば、とても嬉しい事です。

例え子供達がその成長の流れの中で自然と合気道から離れていく事があっても、合気道の経験や皆の温かい目で見守られた事が、必ず大きな力になると思います。

でも、私は大人の方にこそ合気道の稽古をしていただきたいと思います。色々な人生経験がある大人の方が合気道をより深く理解してくれると思うからです。

私が稽古始めたきっかけは、その当時、このまま仕事だけして人生を過ごしたくない、ただそこらにいる何の役にも立たない老人になるのは絶対に嫌だと思い、そして、何か日本的な習い事がしたいと思ったのと、自分に合った事を見つけたかったからです。

始めたのは30才の時です。学生時代に運動をしていて、社会人になってからあまり運動してなく、時間を見つけて以前のトレーニングをしてみても身体に合わないと感じるようになりました。一般的なスポーツの考え方だと28才位をピークにあとは下がっていくようなイメージがあると思いますが、自分もそうなのかなと思っていました。自分の体力や運動能力が下がるだけ、自身の学びのモチベーションもなく、仕事だけして、このまま年をとっていきたくないと思っていました。

私は高校時代に体操競技をしていました、また、遊びや体育の授業程度ですが、野球、サッカー、バレーボール、柔道、レスリング等のスポーツを経験していました。

合気道の初めての稽古をした時の話ですが、稽古をしている途中、自分の身体、心、日本人の血が喜んでいるの感じました。例えて言うなら血が逆流するような感覚で、今までに感じたことのない心身の高揚を覚えました。そして、一通り稽古をして神様に向ってお礼をし、その後皆と礼をし合って、稽古を終えました。その時思ったことは、自分は”日本人なんだ”と言うことです。今まで感じた事がない、自分が日本人である事の満足感と充実感、そして、爽やかさと清々しさを感じました。私はこの時、自分が求めていたものはこれだと思い、やっと自分に合っているものに出会えたことに喜びが湧いてきました。

合気道の動きは自然の理にかなっているので、無駄がなく、流れるような動きです。無理な動きがないので正しく稽古をすれば身体を痛めることはありません。
ずっと学び成長する事ができます。私が稽古で出会った方で80歳を過ぎても若者のように動ける方もいました。人間の可能性を否定してしまえばそれまでですが、私は稽古で出会った人達のおかげで、自分自身も努力を積み重ねて行けば”人間の可能性を証明できる”と思うようになりました。そして、稽古を通じて立ち向かう力やチャレンジ精神を失わないことの大切さを学べると思いました。

私が通っていた東京新宿の本部道場は沢山の人が稽古に励んでいます。遠く、海外から来る方も多くいらっしゃいます。朝の6:30から始まる一番稽古に通常で60-80人、海外から来られた方達がいて、多い時は100人を超える時もあります。沢山の人と稽古できる機会に恵まれた環境です。

ある稽古の時の話ですが、私は外国の、年は70才位の女性の方と稽古しました。その女性は黒帯でしたので、初段以上なのだと思います。決して上手とは言えず、受け身もやっと取れる感じでゆっくりとした動きでした。私はその方の技を受けている時にふっと感じました。

「遠く離れた国から来た方の上手とは言えない技であっても、紛れもなく合気道の技だ。こうして、きちんと技が伝わっているんだ。そして、その技の中に間違いなく植芝先生の精神が宿っている。」と悟り感動しました。

稽古を終えてその女性と礼をしました。女性は私が親切に稽古してくれた事に喜んで、感謝してくれました。私自身はいつものように稽古しただけなのですが、嬉しかったようで友達にも私の事を紹介する素振りを見せました。その女性の技を通じて、先生方が学び伝えた努力を感じ、植芝先生の技に込められた自然の理合いを感じました。その一つの稽古を通じて、先生に対してより深く尊敬するようになりました。もちろん、その方が日々の稽古を積み重ね、努力されている事も素晴らしいと思います。(初段以上に成る事は結構大変です。)

その他にも色々な事があります。私は稽古の中で感じた様々な事、色々な方が稽古をする環境を整えてくれる事や先生におっしゃって頂いたことに計り知れない感謝を抱いています。このような、心からの尊敬や感謝の念が持てる事はどんなに素晴らしく有り難いことでしょうか。私にとっては稽古を通じてはじめて感じられたことです。

私が稽古で感じ、経験した事を少しでもお伝えし、皆の役に立てることが出来れば嬉しく思います。